伊402と晴嵐はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを空爆するはずだった?


当時、世界最大の潜水艦で地球1周半の航続距離に格納した爆撃機・晴嵐でアメリカ東海岸やパナマ運河攻撃が計画され、戦後はアメリカ軍に接収され核搭載原子力潜水艦に発想の源になったと言われる伊400型潜水艦。2015年7月に海上保安庁が伊402など24隻の潜水艦の機影を発見(pdf)、8月16日にフジテレビの真相報道バンキシャ!で海底の伊402の映像が公開、8月23日に歴史秘話ヒストリア「幻の巨大潜水艦 伊400 日本海軍 極秘プロジェクトの真実」の再放送が行われるなど、伊400型潜水艦関連のニュースが今夏相次いで話題に。

お盆に実家に帰った際に親族に話を聞いたところ、なんでもうちのじーさんが伊400型潜水艦に載せた晴嵐隊の第六三一海軍航空隊(631空)にいたことが発覚。5月の歴史秘話ヒストリア放送後、6月にワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で晴嵐を見てきた後でちょうど伊402が話題になったタイミングだったのでそんな偶然もあるもんだな、と驚いた。それで1989年にじーさんが書いた旧制中学の同窓会誌が発掘されたので読んでみたら、いろいろ興味深いことが書かれていた。


潜水艦伊400型に格納した晴嵐をスミソニアン航空宇宙博物館で見よ
愛知航空機 M6A1 晴嵐

じーさんは海軍兵学校卒業後に横須賀海軍航空隊で二座水偵の教官として着任し、瑞雲と晴嵐の実験・訓練に従事した。ドイツのライセンス生産だった水冷式エンジン「アツタ」を用いた爆撃機・彗星は日本の技術の問題で不具合が多くて稼働率が低かったが、これは晴嵐でも同様だったようでエンジンの調子が悪く試験飛行中に海上に不時着することが多く、殉職者は非常に多かったそうだ。

本番は夜のため水平線の確認すら困難な夜間飛行の練習をする必要があり、伊400型潜水艦のカタパルトからの発進も波で艦首が下を向いていれば水面に落ちるのでこれも命がけで、大卒初任給が60円くらいの時代にカタパルトから1回ポーンと飛ぶだけで6円もらえたので「ポンロク」と呼ばれていたという。

じーさんは1945年3月に631空に配属され、4月に有泉龍之介司令が作戦を発表。伊400、伊401、伊13、伊14の4隻に晴嵐を合計8機搭載してパナマ運河を攻撃するというもので、ここまではよく知られているが、続けて以下のように書かれていた。

別に『伊402』から指揮する「晴嵐」隊で桑港の金門湾を奇襲する計画であった。


マクロスF舞台探訪 フロンティア船団に再現されたサンフランシスコを比較する
サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ。

桑港はサンフランシスコ金門湾はGolden Gateなのでゴールデンゲートブリッジあたりを爆破する計画だった?サンフランシスコには海軍造船所や航空基地があったが今更そんなものを数機で空爆してもしょうがないし、Golden Gateはそのままの意味なら橋の架かってるあたり一帯を指す。詳細は不明だが当時世界一の吊り橋だったゴールデンゲートブリッジを破壊すればインパクトはありそう。

しかし、自分が読んだ文献ではそのようなことが書いてある本は見当たらず本当にそのような話があったのかは確証が持てず。そもそも、伊402は建造の遅れから竣工したのは1945年7月で、直後に呉軍港空襲で損傷して終戦を迎えることになり、しかもシンガポールや台湾から燃料を輸送するための潜水タンカーに転用されているので伊402でサンフランシスコ空爆なんて話はちょっと考えにくい。サンフランシスコへの攻撃と言うと、サンディエゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコなど西海岸を細菌兵器で攻撃するというPX作戦もあったが上層部のみで計画されたもので一時は承認されたが結局中止されている。

晴嵐は潜行中にエンジンを予め温めておくために水冷式のアツタエンジンを使っていたがこれが「空冷」と書かれていたりして、平成元年にもなると記憶があいまいで間違いも多く、どこまで本当なのかわからなくなってしまったのが非常に惜しい。

それでもサンフランシスコの地誌研究や夜間訓練を行ったとあり、これらはさすがに記憶違いはないはずで、じーさんのハッタリでなければ何かしらそういう計画もあったということになるのだろうか?



伊400型潜水艦の晴嵐格納筒。

結局、伊400、伊401、伊13、伊14から射出した晴嵐によるパナマ運河の攻撃は、燃料の不足や東南海地震で愛知航空機が被災し晴嵐の製造が遅れるなどで時期を逃して中止となり、伊400と伊401によるウルシー環礁への特攻へと切り替えられる。

その第二弾作戦として、晴嵐をシンガポールに10機輸送する任務をじーさんがやっていたらしく、終戦を迎えて作戦が中止となった後、唯一残った晴嵐を横須賀へ空輸して米軍に引き渡したらしい。10機輸送する計画なのになんで1機しか残ってないのか、航続距離から1回の飛行では日本まで帰れないので途中どこで給油したのか、横須賀に空輸した晴嵐はどうなったのか(スミソニアンにあるのは愛知県から接収されたものらしい)、など疑問がいっぱい湧いてきたがすでにわからなくなってしまっているので「なんで生きてるうちにいろいろ聞いておかなかったんだ!うわー!!」と自分を責めることに。

締めくくりにはこのように書かれていた。

思い出の『伊402』は『長門』と共にビキニ環礁の藻屑と消えた。
じーさん……、伊402は今長崎沖で安らかに眠っているよ。


そして、

じーさん思い出の伊402は今こんな感じで日本は平和だよ!

はいてないポンチョロリとかほんと、どうしてこうなった……。


文献:
伊四〇〇型潜水艦 最後の航跡 上
伊四〇〇型潜水艦 最後の航跡 下
神龍特別攻撃隊 潜水空母搭載「晴嵐」操縦員の手記
歴史群像 2007年10月号 インタビュー 元特殊攻撃機『晴嵐』搭乗員 淺村敦


告知

「太平洋戦跡 トラック・パラオ泊地ってどんなとこ?」
艦これの2015年冬イベントのモチーフにもなったトラック島空襲、連合艦隊本拠地で大和と武蔵が並んで停泊した戦艦錨地に残る武蔵係留ブイや、天龍や長良など5500トン級軽巡から陸上砲台に転用された14cm単装砲など、トラックとパラオの泊地や基地の機能を交えながら戦跡の数々を紹介。書店委託開始。

タイトルとURLをコピーしました