野生化したサボテンに包まれ朽ちていくコンクリートが最高に愉悦。台湾・澎湖諸島に残る清や日本軍の要塞砲台を巡る


台湾の澎湖諸島に数多く残される清や日本統治時代の要塞砲台を探して回ってみた。


澎湖諸島に建設された要塞砲台


清時代末期で日清戦争時の澎湖諸島の砲台。

後述の金亀頭砲台に掲示されていた展示を見ると、清時代や日本統治時代の砲台の位置がマッピングされていた。この地図によると、日清戦争で日本軍は澎湖諸島に艦砲射撃を行った後に東側から上陸したようだ。



日本統治時代の砲台。

日本陸軍によって澎湖諸島の防衛が強化された様子がわかる。ワシントン海軍軍縮条約で台湾の澎湖諸島は新規に要塞の拡張が禁止されたので、1922年以前の様子と思われるが、もしかしたら太平洋戦争期のものかもしれない。


馬公の要塞砲台

中心街から歩ける金亀頭砲台


金亀頭砲台ってちょっと名前がえっちだよね……。

清時代からある砲台で馬公金亀頭砲台文化園区として観光地化されている。澎湖諸島の中心である馬公にある砲台で、馬公港や中心街から歩いてもいける。

05月から09月: 水曜から日曜日まで8-18時
10月から04月: 水曜から日曜日まで9-17時

10:00、14:30、16:00に地下坑道の澎湖戦役秘径を見学するガイドツアーが開催されるようだが、訪問時は残念ながら澎湖県政府文化局からの通達で武漢肺炎(COVID-19)の蔓延を防ぐため開放されていなかった。



28センチ榴弾砲砲台の砲座が残る。

金亀頭砲台には安式28センチ榴弾砲が2基、安式10インチ練習用砲台が2基、安式7インチ砲台が1基、清時代の指揮所などが公開されていた。「安式」は「アームストロング式」のこと。



M1式40mm高射砲陣地。

他には監視用のタワーも存在したが特別な日にのみ開放されるようだ。

澎湖諸島の要塞砲台のうち観光地化されているものは、保存のためや危険がないように上から補強のコンクリートで塗り固められているところが多く、特に兵舎などは元がどのような感じだったのかわかりにくい部分もあるが、当時の様子を想像して思いを馳せるには十分だろう。


大山堡塁


日本統治時代に造成された大山堡塁は馬公の南側にある。

「陸軍営地」と書かれた標柱も残っており、日本陸軍の要塞であったことが伺える。

ここは閉鎖されたサボテン公園の一部だったようで、敷地内は散歩コースとして行けたけどいつまで入れるのかは不明。Google Mapだと「仙人掌公園充電站」付近、バス停だと青湾站が最寄り。



西嶼郷の要塞砲台


馬公から30km離れた西嶼郷にある要塞を紹介していく。

西嶼郷の南側は小高い丘になっていて澎湖諸島西側の防衛を担う重要拠点として要塞砲台が数多く建設された。


西嶼東砲台


西嶼東砲台も清時代から存在する要塞のようで金亀頭要塞と同じく観光地化されている。




10インチ、8インチ、7インチの砲台が1基ずつ、付属する兵舎、指揮所、弾薬倉庫跡が残っている。


西嶼東堡塁付属砲台


西嶼東砲台の東側に隣接して日本統治時代に拡張された西嶼東堡塁付属砲台。

9センチ速射砲が4門配備されていたようだが、こちらは観光地化されておらず藪を突き進むしかない。



観測所。



砲座や倉庫があったエリア。

澎湖諸島はオランダから島の防衛のために持ち込まれたサボテンが野生化しており、今ではサボテンアイスなどのスイーツが名物の1つになっている。コンクリートの廃墟にサボテンが無秩序に生え放題になっているのは日本ではまずお見かけできないので、草木をかき分け道なき道を突き進んできた甲斐があったというものである。

サボテン以外には、冬の澎湖諸島はゴマ粒みたいな羽虫が大量に発生しており、服やカバンにくっついてかなり面倒だったが、苦労して発見したお宝に喜びもひとしお。


西嶼東堡塁


西嶼東砲台の西側には西嶼東堡塁があり、先程の西嶼東堡塁付属砲台はここの付属施設だったようだ。



安式12インチ砲4基の砲座があり、兵舎や観測所の廃墟も残っている。

砲座については2000年代の補修できれいになっているが、元のコンクリートは見えなくなってしまっている。

5インチ艦砲が2基離れたところに存在するが、地下坑道は閉鎖されておりアクセスできなかった。Google Mapsの航空写真で見るとそれっぽい構造を確認できたので現存はしているようである。


西嶼西堡塁


西嶼東堡塁から更に西に行くと西嶼西堡塁がある。

日本統治時代に28センチ榴弾砲が6基あったが、1937年に4門に改修され、2門分は大型の砲塔になったと思われるか何センチ砲なのか不明。



28センチ榴弾砲の台座。



観測所には金属の構造物も残っており、弾薬庫、兵舎、90センチ探照灯室などの構造も見ることができる。



ぽっかりと口が開いたような砲塔。

いかにも戦争遺跡の廃墟といったダイナミックな風景が見られ、澎湖諸島まで来てよかった!


西嶼西砲台


西嶼西砲台は明時代から軍事拠点だったようで。

清時代に、安式12インチ榴弾砲1基、安式10インチ榴弾砲2基、安式6インチ榴弾砲1基が設置され、12インチ砲と10インチ砲は実物が展示されている。西嶼西砲台だけ入場料が30元かかる。



大兵房の中。



日本統治時代の様子をそのまま保存したようで、厨房や官房は閉鎖されていたが、大兵房や二重の壁で囲われた弾薬倉庫は入れた。


三仙塔



外垵漁港を見下ろす丘に三仙塔という漁民の安全を祈った(?)石組みの石碑があり、近くに軍事施設の廃墟が残っている。説明書きがないので詳細は不明。


外垵餌砲

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外垵餌砲についてはこちらの記事へ。

この付近は外垵社砲台の跡があるらしいのだが、場所はわからなかった。


漁翁島燈塔(西嶼燈塔)


西嶼郷の西の果てにある漁翁島灯台(西嶼灯台)。

手前の軍事施設を通り抜ける必要があり撮影には注意する必要がある。清時代のものと思われる小さな砲が展示されていた。


五孔頂砲台


西嶼郷の赤馬漁港の近くから五孔頂歩道を上った小高い丘の上にある五孔頂砲台。

名前の通り5門の砲台跡が残っているが説明書きがなかったので詳細は不明。

また、西嶼東砲台との間に清時代からある西嶼弾薬本庫と太平洋戦争末期に特攻艇の震洋を格納した東鼻頭震洋艇格納壕があるようだが、軍事エリアのため立ち入りできなかった。


玉屋営区


五孔頂砲台からわりと近いところに玉屋営区という砲台もあったようだが、訪問時には見当違いの場所を捜索してしまい見つけることができなかった。

帰宅後に博物館の写真とGoogle Mapsの航空写真を照らし合わせると、内垵北漁港の北で203号道路から近いエリアにあるようだ。

澎湖諸島はほとんどノープランで2日間回ったが、原付を借りてこのように多くの要塞砲台を見ることができた。他にも、後に調べると湖西拱北砲台や五徳餌砲といった砲台跡や餌砲があるようなので、次回訪問する機会に再調査したい。

澎湖諸島へのアクセスは、往路が高雄からフェリー、復路はユニー航空の台北松山便を利用して台湾高鉄の南港-台北へ。
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