【台湾】蝋人形リアルすぎ!蒋介石・国民党に反抗する政治犯がブチ込まれた流刑地・緑島の監獄が刑務所博物館となった緑島人権文化園区


台湾・緑島の国家人権博物館。

台東からフェリーで50分または小型航空機で15分で行ける緑島。現在はシュノーケリングやダイビングスポットとして台湾のマリンレジャーで賑わうリゾート地になっているが、かつては絶海の孤島にある流刑の地だった。その監獄が今では博物館として公開され、「反抗大陸、統一中國」年代の監獄施設や政治スローガンを体感できるスポットとなっている。



緑島人権文化園区の国家人権博物館に入ると、早速、国民党のありがたい政治スローガンが。

1945年に日本が太平洋戦争に破れて台湾の統治が終わると、中国では国共内戦によって共産党に破れた蒋介石率いる国民党政府が本土から台湾に逃れてきた。台湾の統治は国民党が行うことになったが、国民党に反抗したり共産主義に染まる人はどんどん逮捕されて刑務所に入れられてしまう。戒厳令が敷かれて弾圧が行われ、国民党的にまずい思想が書かれた本を持っていたり、ちょっとした集会に参加しただけで政治犯としてみなされ監獄に入れられるような感じで、白色テロと呼ばれる恐怖政治が行われた。





逮捕された人はここ緑島の国防部緑島感訓監獄(緑州山荘)に入れられた。




X字状の大きな2階建ての建物は集団牢屋になっている。

和式便所以外は何もないがらんどうの部屋が無数に並んでいた。



独房の建物も。

わざと頭を壁に叩きつけて自殺する人が出ないよう、壁一面にクッション材が貼られた部屋もいくつかある。



面会室。

ガラス越しに電話が並び、15~20分だけ電話面会できた部屋も公開されていた。



1950年代の緑島監獄の模型。

緑州山荘の隣には更生施設となる新生訓導處になっていて、一番大きな建物の中正堂では人形や模型展示が。



緑島へ連行される政治犯。



新生訓導處で強制労働や思想教育を受ける政治犯たちは12個の中隊に編成されていたが、ここで事故や自殺で亡くなった政治犯や官兵は13個目の中隊に例えて「十三中隊」と呼ばれ公墓に入れられたそうだ。

なぜか、日本語の歌で「千の風になって」が流されており、理由はよくわからず。



かなりリアルである。

政治犯たちが暮らしていた木造の宿舎が再建されている。



厨房の大釜がある小屋も復元。




壁や入口付近の監視塔。




門には「新生の家」や「革命の門」と書かれている。



緑島人権文化園区のマップ。

国家人権博物館として現在公開されている緑州山荘と新生訓導處だけでも見どころは多く3時間近くかかってしまったので、緑島を一周する際に立ち寄る場合は時間配分を考えた方がよいかも。




再建中の建物がいくつかあり、立ち入りはできないが外から中を除くことはできる。



法務部矯正署緑島監獄。

緑島空港の近くには現役の刑務所があり、入口を眺めることはできる。




緑島人権公園には亡くなった人の名前が刻まれた血と涙の人権記念碑もある。





台北で同様に白色テロの政治犯が収容された国家人権博物館(景美人権文化園区)を訪問した時に、実際に緑島に連れて行かれた人の話を日本語で聞く機会があり、この緑島は戦後の台湾の歴史を知るためにどうしても行きたい場所だったのでついに念願叶うことができた。ここでの生活は辛いものだったけど、緑島監獄には知識人やエリートが数多く収容されていたので、様々な知識を持つ人と触れ合うことが勉強になり「僕は”緑島大学院”を出たんです」といった感じでにこやかに語ってくれたのが今でも忘れられない。

台湾では白色テロは過去の歴史として博物館で語られるようになったが、現在の世界では同様の弾圧やもっとひどい人権侵害がリアルタイムで行われていることを思うと誠に複雑な思いでいっぱいになった。


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