艦隊これくしょん -艦これ- 先行PV第弐弾 – YouTube
TVアニメ艦隊これくしょんの先行PVによって物語の舞台となる鎮守府の様子が公開。かつて呉鎮守府だった庁舎などが登場しているようなので実際と比較してみた。
呉鎮守府
アニメ艦これPVの冒頭に映った建物は誰がどう見ても呉鎮守府だった海上自衛隊呉地方総監部。
現存してる鎮守府っぽい建物で一般でも見られるのはここにしかなく、他に残っている横須賀鎮守府庁舎は米軍基地になっており年4回のツアーに当選するなどしないと基本的には見られないので呉鎮守府がモデルになったと思われる。
倉庫群
旧潜水艦桟橋のあるアレイからすこじま周辺の大砲庫や水雷調整室として使われていた倉庫群は、正面の丸窓、中央に入口、5つの窓など形が似ているように思うのでアニメ艦これの倉庫群のモチーフかもしれない。
右側: 元文庫測器事務所。左側: 詳細不明。
元海軍艦船部庁舎。
一応、呉鎮守府にも似た感じの倉庫はある。
海軍兵学校
お前、ぜってぇー無許可でビラ配りしてるだろ!
那珂ちゃんが恐らく勝手にゲリラ的にアイドルカツドウしているであろう場所は、窓の形や細部が異なっているがかつて海軍兵学校だった海上自衛隊第一術科学校にある幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)と思われる。2階建てで入口の雰囲気などが似ており、松が植わっているところも一致する。こちらも赤レンガがとても美しい建物で、現在も自衛隊の幹部候補生を輩出。
NHKのドラマ「坂の上の雲」でここを通り抜けるシーンは今でも強烈に印象に残ってる。
チズカイさん、じゃなかったブルマ雷と電の走る石畳も似た感じのが呉鎮守府庁舎や旧海軍兵学校生徒館付近にある。
呉をモデルに描かれる艦これの世界観
呉鎮守府の裏側。天皇陛下のための階段があり実はこっち側が表でCDの両A面ジャケットみたいになってる。
アニメ艦これのPVを見ると明らかに呉鎮守府や海軍兵学校をモデルにしていると思われるが、見てきたように細部は異なって描かれている。「若者の右傾化」と安易に叩かれるのを防ぐためのかは知らないけど、実在するかつての鎮守府由来の建物はあくまでモチーフ程度で、実際はかなり離れている鎮守府庁舎と海軍兵学校を同じ敷地にあるように描いて架空の艦これの世界観をつくろうとしているのが見て取れる。
鎮守府庁舎の敷地はそれほど広くないので海軍兵学校と合体させて広々としたところで艦娘たちが走り回る風景を映像から更に想像するのは実際に行ったことあるとなかなか楽しい。
艦これの世界は1999年以前?
もう一度呉鎮守府とアニメ艦これを比較してみよう。
御影石でできた玄関のアプローチ部分などはだいたい同じながら細部が微妙に異なるが、やはり目につくのは屋根のドームがなくなっているところ。
この庁舎は初代鎮守府庁舎が1905年の芸予地震で建てなおされた2代目。1945年7月の呉軍港空襲でドームは破壊され、庁舎も焼失したのが、1954年10月に再建され、ドームは1999年に修復されている(手元の資料だと1992年と書いてあったけど)。
つまりドームがまだ焼失したままとするとアニメ艦これの世界観は1999年以前?ということになる。
しかし、これが正しいとすると伊168の「スマホとかで遊んでたんじゃないからね。」というセリフでスマートフォンが存在しているという設定に矛盾してしまう。
焦って、呉地方総監部にあった2000年の庁舎の写真を見たら、入口に取り付けられている海上自衛隊のシンボルマークがないことに気がついた。
アニメ艦これでは呉地方総監部庁舎に2000年以降に取り付けられたシンボルマークがあるので、そうなるとドームが再建されないまま現在に至ってしまったと考えれば特に矛盾はなさそう。
旧日本海軍プレイでドームまで再建する資材がなかった!
と思えばこれで一件落着か。もしくは赤城さんが食っちゃったとか。
・艦これオンリーと一緒に回りたい呉・江田島の鎮守府&戦争遺跡まとめ
・[C85]艦これ鎮守府史跡探訪本「提督の辿り着く場所」
呉と江田島周辺の鎮守府や戦争遺跡の詳細は上記記事や同人誌で紹介。冬コミはロシアのサハリンの鈴谷の艦内神社、響のロシア太平洋艦隊、まるゆのお姉さんかもしれないタイに輸出された潜水艦などの予定。追記: 冬コミ新刊「海外艦光」
前回のPVを見てまったく期待してなかったTVアニメ艦これ。完全に実在する建物と同じではなく細部を変えてあると元ネタを探したりその理由を考えるのはすごく楽しそうで、何かそこから新事実が判明するかもしれないので来年の放送を注視したい。
追記: 第2話へ続く。
・アニメ艦これ第2話のどうでもいい細かいこと
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