【アズレン】シャルンホルスト級巡洋戦艦グナイゼナウの28cm三連装砲が今でもフィヨルドを睨み続けるノルウェーの要塞に行きたい
巡洋戦艦グナイゼナウ 28cm三連装砲。
ノルウェー第三の都市トロンヘイムからフェリーで1時間のブレクスタ(Brekstad)にあるアウストラット要塞(Austrått Fort / Ørland fort)には、シャルンホルスト級巡洋戦艦二番艦グナイゼナウの第三砲塔ツェーザル(Caesar)が保存されている。
2017年夏コミ新刊「ドイツ艦要塞」の取材で訪問した2016年11月は冬期で劣化を防ぐシートが被せられていたのが残念だったが、当時のままの姿を留めていた。
1934年式54.5口径28.3cm砲の射程は約36kmで、砲身は今でもフィヨルドに侵入してくる敵を狙うかのよう。
1942年11月2日のツェルベルス作戦で、シャルンホルスト、グナイゼナウ、重巡プリンツ・オイゲンらは白昼に堂々と英仏海峡の突破を成功させたが、キールでドックに入っている間にグナイゼナウが空襲を受けて損傷。修理の際に38cm砲への換装を行うために28cm砲塔は外されたがヒトラーの大型艦破棄命令によって中止に。
28cm砲のうち第二砲塔、第三砲塔はノルウェーに移設されて要塞砲に転用され、第二砲塔はノルウェー第二の都市ベルゲン近郊のFjell Fortに設置されたが現在は解体されて残っておらず、砲塔がそのまま残っているのはこのアウストラット要塞のみ。
アズールレーンだとグナイゼナウは巨乳メガネのお姉さんになりホットパンツ?と黒オーバーニーソックスがたまらないことに。主砲は「283mmSKC34三連装砲」として実装。
2017年12月26日から2018年1月12日までの鉄血イベント「鏡写されし異色」でシャルンホルストはなんとか手に入ったものの、我が母港にグナイゼナウはドロップせず……。
ちなみに、1940年6月8日のノルウェー沖海戦でシャルンホルストとグナイゼナウが沈めたイギリスの空母グローリアス、駆逐艦アカスタ、アーデントの3人はアズールレーンでは中国で先に実装されているらしいので日本での配信が待ち遠しい。
別の場所から持ってきたらしい測距儀。
要塞の入口。
右側が弾薬庫で、左が砲塔や居住区への入口になっている。
発電室。
3段ベッドが並ぶ12人部屋の兵舎。
トイレやシャワーもそのまま残されていた。
28.3cmの砲弾庫。
砲弾1つあたり約300kgあった。
砲弾を砲室まで揚げる揚弾室。
薬莢庫。
日本やアメリカ海軍の大型艦の主砲は、発射薬として火薬を袋に詰めた薬嚢を1発につき複数個装填していたが、ドイツ戦艦の主砲は戦車や銃でよくある薬莢を用いる方式だった。
薬莢を砲室まで揚げる揚薬室。
一番上の階層まで上がると砲室。
狭い部屋の中に3本の砲身が並んでいた。写真の手前は真ん中の砲身の装填装置。砲身には1936年クルップ製を示す刻印も。
尾栓の閉鎖方法は、砲身の筒の部分に穴が空いていて、砲身に対して直角方向に栓をスライドさせて閉塞する鎖栓式。
日本やアメリカは砲身の後ろから栓をねじ込む方式だったので、薬莢方式といい尾栓の鎖栓式といいドイツ戦艦は結構違う。
通気塔。
ブレクスタにはこの他、ナチスドイツが使ったオイルタンクも残されていた。
ノルウェーからフランスとスペインの国境に至るまでの海岸線に砲台をたくさん設置してユーラシア大陸とイギリスの分断を図った壮大すぎる計画の「大西洋の壁(独: Atlantikwall / 英: Atlantic Wall)」の一貫として、このアウストラット要塞は建設された。28cm三連装砲塔はトロンヘイムのUボート基地を守るために設置されたが、実戦では一度も使われることはなかった。
28cm三連装砲塔は、スカンジナビア航空で成田、コペンハーゲン、オスロと乗り継ぎして(コペンハーゲンからトロンヘイムまでの直行便もある)、更にコペンハーゲン中央駅近くの港から1日4本しかないフェリーに乗り、そこから要塞までは公共交通機関がないという最果て感漂う場所にある。訪問時は冬期閉鎖中だったので博物館の人に貸し切りツアーと港までの送迎を事前に交渉してなんとか辿り着くことができた。
日本だと旧海軍兵学校(海上自衛隊 江田島第一術科学校)に戦艦陸奥の41cm砲塔が保存されているが(呉・江田島参考)、中までは見られないのでノルウェーまで行く価値はあったというもの。ヒトラーによって戦艦が「いらない子」扱いされて、主砲塔がノルウェーに設置されたおかげで今でも残されてこうして訪問できるわけである。