広島県竹原市にある瀬戸内海の小さな大久野島。ウサギと毒ガスの島として知られる大久野島の遺構を回ってみた。
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大久野島の毒ガス工場、砲台などの遺構
大久野島は周囲4kmの島で、芸予要塞として日本陸軍によって砲台が築かれた。
大久野島に設置された28cm榴弾砲は日露戦争の旅順攻撃にも運ばれて使われたそうだが、ロシアの脅威が消えたり第一次世界大戦後の軍縮によって要塞が廃止になると、兵器庫が置かれ、1929年から火工廠の毒ガス工場となり、びらん性毒ガスのイペリットとルイサイトなどを製造を行っていた。
戦後は毒ガスの処理作業、米軍の爆弾解体処理場などに使われ、大久野島は返還されて休暇村となった。どういうわけか地元小学校のウサギが野生化してウサギの楽園となってしまったようである。
研究所跡
立入禁止エリアで近づくことはできないが、毒ガス製造時代の研究室と薬品庫として使われた研究所跡がある。
休暇村となって当初は宿泊施設としても使われたらしいのでその時代に来たかった!
毒ガス資料館
建物内は撮影禁止だが、屋外には陶磁器製の毒ガス製造器具が展示されている。
幹部用防空壕跡
半地下の防空壕の入口を見ることができる。
幹部用なのでコンクリートは他と比べて強固になっているとか。
大久野島神社
1929年に毒ガス工場が開所された際に従業員が社殿を修復して大久野島神社として1932年に今の位置に移転したものらしい。
社殿は台風による被害で破壊されてしまっていた。付近には毒ガスによる殉職碑も設置されている。
灯台
南の灯台付近には陸軍時代と思われるコンクリートの構造がいくつか残っている。
南部照明所跡
芸予要塞じだいに探照灯が置かれていた南部照明所。
大久野島の北部にも照明所があったが現在は入ることができない。
三軒家毒ガス貯蔵庫跡
休暇村本館付近にある三軒家毒ガス貯蔵庫跡。
皮膚がただれる「びらん性」毒ガスのイペリットが貯蔵する10トンタンクが置かれていた。
毒ガス貯蔵庫跡
大久野島の西側のテニスコートがあるエリアの山の斜面にも毒ガス貯蔵庫があり、80トンを貯蔵できたそうだ。
長浦毒ガス貯蔵庫跡
大久野島の毒ガス工場でシンボリックな遺構と言える長浦毒ガス貯蔵庫跡。
巨大なタンクを置いて毒ガスを貯蔵していたが、戦後に火炎放射器で焼却したため壁面の一部が黒ずんでいる。
トイレの跡。
北部砲台
大久野島の北部は明治に築かれた砲台や弾薬庫跡が残されている。
地下兵舎跡。
同じエリアに発電機関舎や24cm加農砲が置かれていた。
24cm加農砲の砲台跡は、芸予要塞の廃止後は毒ガスタンクを置く場所となり、タンクの台座がそのまま残っている。
要塞時代に壁際に弾薬を置いたスペースや砲を固定したボルト跡も残っているためとても興奮できる場所となっている。
一部は水没していて入ることができない。
他にも中部砲台跡など芸予要塞の遺構が数多く誇っているが、台風や大雨で道が封鎖されてしまい入ることができなくなっていた。
芸予要塞時代の桟橋
忠海からのフェリーが発着する桟橋の近くには芸予要塞時代の石造りの桟橋が残る。
現在も船が発着する表桟橋や西側の長浦桟橋が使われるようになるまでは毒ガス工場時代にも利用されていたとか。
発電所跡
毒ガス製造のための電力を供給した発電所跡。
1944年11月から1945年4月までは、風船爆弾による「ふ号作戦」のために女学生が和紙とこんにゃくのりで風船を貼り合わせていたとか。
発電所前にある土塁とトンネル。
タコやふわふわかき氷など大久野島グルメ
タコよくばり定食(1630円)。
休暇村大久野島のレストランUSANCHUでは三原名物のタコや竹原名物の魚飯などを食べることができる。
うさんちゅカフェの期間限定メニューとなるふわふわカキ氷「白うさぎ」。
ミルク味のカキ氷はフレーバー氷を削った台湾カキ氷に近くて、ふわふわの食感だけでなくとても写真映えする。
大久野島へのアクセス・行き方
忠海-大久野島のフェリー。
大久野島へは三原から呉を経て広島方面に至る呉線(瀬戸内さざなみ線)に乗り、忠海駅で下車してすぐ近くの忠海港からフェリーに乗る。
小さな大久野島は車での乗り入れはできないため、忠海港の駐車場に入れることとなる。土日祝は客が殺到するためジャムなどを作るアヲハタの従業員用駐車場を間借りしてさばいているようだった。
忠海-大久野島-盛を結ぶ第三島フェリーのスケジュールは30分から1時間に1本くらい。
忠海-大久野島の運賃は片道大人310円で往復620円。
大久野島の桟橋から休暇村までは1kmくらいで、シャトルバスを利用することもできる。
廃墟とウサギと戯れる楽園
このように戦争遺跡となる陸軍の廃墟の中でウサギと戯れることができる地上の楽園であった。
ウサギと触れ合える癒やしの島として広く一般に知られ有名観光地となった大久野島、新型コロナウイルスの緊急事態宣言後に訪問した2020年7月は、マイクロツーリズムの普及により広島県民を中心に客が増え以前の活気を取り戻しているようだった。