海防艦トンブリの艦橋と主砲
1944年12月26日の礼号作戦に参加した重巡洋艦という関連で2014年同日に艦隊これくしょんの足柄改二が実装。今日は足柄とは一見関係なさそうなタイ王国の話を。
日本から輸出された海防艦トンブリ
コミックマーケット87新刊「海外艦光」のサンプル。
武器輸出三原則の見直しが最近議論されているが、そのはるか昔、戦前の日本はタイに海防艦や潜水艦、給油艦などを輸出していた。
1938年に神戸の川崎造船所で姉妹艦スリ・アユタヤ(Sri Ayuthaya)と共に建造されたのが海防艦トンブリ(Thonburi)。駆逐艦くらいの艦に重巡洋艦に載せた20.3cm連装砲を前後に1基ずつ搭載。王朝の名前がつけられた姉妹は日本なら大和や武蔵に相当するような存在。
トンブリは1941年にコーチャン島沖でフランスと戦ってひっくり返る大損害を受けて後に引き上げられ、最終的にタイの海軍士官学校に艦橋と第一砲塔が保存されている。
艦これには海防艦の実装予定もあるそうなのでトンブリが実装される可能性も十分ありえると思うが、小さな艦に重巡相当の装備を載せているので扱いにめっちゃ困りそう。ちなみについ最近知った事実としては、トンブリたちはタイ人絵師によって擬人化され「艦泰(タイ)これくしょん」本としてコミケでとっくに出てた。
妙高型と類似する主砲
軍艦メカ 日本の重巡より足柄の第二第三砲塔。
重巡に載せられた50口径三年式20cm砲のうち妙高型のD型連装砲とトンブリの主砲が類似し、特に足柄のものと似ている。
砲塔内を冷やすため装甲の上部に防熱板があって(中空構造のダンボールを載せたようなイメージ)、足柄はこの防熱板が上部全体を覆っていて端の部分にスリットが見えるが、妙高は全体を覆ってはいない。那智と羽黒は両方のタイプが載っていたそうで。
トンブリの主砲を見ると防熱板は砲塔上部全体を覆っており、前方から側面にかけての角が曲線になっているなど見た目はソックリ。
赤城と加賀から付け替えたもの?
大和ミュージアムには青葉から外した砲(写真の右奥)が残っているけど、装甲まで含めて陸上に残ってるのはトンブリが恐らく唯一。
特に砲塔に至っては日本の空母だった赤城又は加賀が昭和9年の大改修の際に外された物を流用したとの説もある。Wikipediaのトンブリ級海防戦艦の項目を見ると何の文献を参考にしたのかわからないが、トンブリとスリ・アユタヤの砲は空母・赤城と加賀の改装時に外した砲塔という説があるということが書かれていた。
ただし、改装前の赤城と加賀の写真を見ると外観が違うので、砲身などを使いまわした可能性は否定できないけど、少なくとも砲塔の装甲部分は流用されてないんじゃないかと。
タイに残る貴重な日本製の艦艇
例えば艦内神社については今年になって初めてまとまった本が出たけど、海外艦については調査もあまりされていないのか書籍や雑誌に掲載された数ページの特集をかき集めたりタイ語や英語の資料見るしかなかった。戦跡巡り本にも収録されないので情報がほとんどなくて非常に苦労させられ、赤城と加賀との関連もよくわからず新刊では触れられなかった分も含めて今回紹介した。
タイにはこの他に浦賀船渠製の練習艦メークロン、三菱重工製のマッチャーヌ級潜水艦(の艦橋)がトンブリと同じくバンコクの南に残っている。戦後賠償や解体、軍艦防波堤になるなど敗戦国の日本は戦前の艦艇はほとんどないが、こうしてタイには日本艦の面影を残す艦や装備が保存されている。メークロンに至っては60年以上使われほぼ完全な形で残っているので、大切に保存してくれるタイに感謝したい。
ちなみに、バンコクの南はエビの大養殖場が広がっていてそうしたエリアの一角に日本製の艦が保存されている。戦前日本はタイに艦艇をたくさん輸出したと思ったら、戦後はタイから大量のエビを輸入していた!という面白い絵面になってた。タイは台湾などと並んで親日国として知られている通り、日系の製造業の工場や外食チェーンも大量に進出しているので良い関係が今後も続いてほしいと思う。
追記: 2015年10月に再訪した際は外国人は入れないと言われて門前払いを食らったので注意。