日本統治時代の社畜寮が和風ホテルとして泊まれる!廃工場やサトウキビ列車を保存する花蓮糖廠


台湾東部で日本統治時代から続く製糖工場を観光地化した花蓮観光糖廠へ。


日本の原風景みたいだ!台湾東部・鳳林に残る林田神社とタバコ乾燥小屋・菸楼
林田神社。 台湾東部の花蓮から台東を結ぶ台湾鉄路の東部幹線・台東線は少し内陸に入っていく。台湾東部は人口が集中する西部と比べると中国大陸から移住する人がほとんどおらず主に日本統治時代から開発が行われ、当時の木造家屋や工場などが数多...
鳳林からの続き。


台湾東部の花蓮から台東を結ぶ東部幹線の鳳林駅から赤ブルマことプユマ号に乗車。



11:33から11:41であっという間に光復駅に到着。



かつては上大和という駅名だったが、日本統治時代が終わって台湾に主権が戻ったことを示す「光復」が名前につく駅となった。



東部幹線の鉄橋。



光復駅から1キロほど歩くと花蓮糖廠に着く。

1913年に台東拓殖株式会社として創建され花蓮県寿豊郷に製糖工場(壽工場)が建設、1914年には合併で花蓮港製糖所となる。1921年にこの大和工場が建設され、1944から45年には米軍の空襲も受けた。

戦後に日本が去ると1946年に台湾糖業に吸収され、この工場は花蓮港糖廠と名称変更。1951年には花蓮糖廠と再び名称が変わって、2002年4月に閉鎖され、現在はテーマパークとして公開されている。



1948年ベルギー製造の台糖366蒸気機関車。



サトウキビ列車の貨車と線路も残されている。



1981年日立製のディーゼル機関車。



朽ちた踏切標識もいいな!



こちらは防空壕が子供の遊び場になっていた。



課長や工場主任の家族宿舎となった甲種宿舎。



花蓮糖廠の説明板は多くが中国語、英語、日本語の併記なのでとてもありがたい。

台湾には廃止となった製糖工場が文化遺産として多く観光地化されているが、花蓮糖廠では当時の社員寮をリノベーションして日式建築の和風ホテルとして公開しているのがユニーク。台湾の古い木造住宅のリノベーションはほとんど再建に近い気がするけど、日本の神社も周期で再建するからこんなもんか。



こちらは戦後に建築された乙種宿舎。



和風だけど板張りで畳はないようで。

こんな感じで製糖工場職員のランクによって甲乙丙丁の宿舎が再建されてコンドミニアムみたいになっていた。台湾の稼ぎ頭の製糖業かつ大企業の工場で働くのは、当時としては待遇はよい方だったのだろう。タイムスリップして日本統治時代の製糖工場に社畜気分で泊まれるので、また来る機会があったら宿泊したい!



当時からそのまま残っているような木造家屋もいくつか見られた。むしろ、こっちに泊まりたい。



1937年に完成した診療所。

建物は補修されていると思うが、門柱は当時のままであろう。



博物館の花糖文物館。



工場の歴史や製糖工程紹介の他、台湾砂糖の父として昔の5000円札の新渡戸稲造の銅像などもあった。



いかにも観光地っぽい庭園も。



光復糖廠氷棒でアイス!




同じ工場写真が撮れない!と思ったら、古い写真は太平洋戦争の損傷が大きく解体されてしまった花蓮県寿豊郷の壽工場のようで。



工場の中は見ることができないが、糖蜜タンクの糖蜜儲存槽、アルコールタンクの酒精槽、車ごと重さを量れるトラックスケールなどを外から見ることができる。







時間の止まった廃工場はいいな!

光復駅の滞在は11:41から13:43まで約2時間でゆっくり回れた。次の機会があれば社畜寮に泊まってみたい。
タイトルとURLをコピーしました