プリンツ・オイゲンの模型。
艦隊これくしょんの2014年秋の期間限定海域「発動!渾作戦」。E-3の第三次渾作戦をクリアすると、第二次世界大戦を生き抜き旧日本海軍の雪風に並ぶような幸運艦と言われるドイツの重巡洋艦プリンツ・オイゲンが手に入るが、このプリンツ・オイゲンのスクリューがドイツに残されている。
ドイツの北でかつての軍港都市だったキールから少し行ったラーボエという港町にドイツ海軍記念館(ラーボエ海軍記念館 / 独: Marine-Ehrenmal Laboe / 英: Laboe Naval Memorial)がある。
ドイツに里帰りを果たしたプリンツ・オイゲンのスクリューが、戦没者を追悼する巨大なラーボエ海軍記念碑の前に鎮座している。
1979年にドイツに帰国し、大きさは4.04メートル、重さは11トンある。
スクリューの隣にあるプリンツ・オイゲンの模型。
プリケツ側。
プリンツ・オイゲンはアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦3番艦として生まれ、オイゲン=フォン=ザヴォイエンというフランス生まれでオーストリアに仕えた軍人&政治家から名前が取られた。プリンツは公子の称号。
プリンツ・オイゲン=フォン=ザヴォイエンの紋章(参考)を重巡プリンツ・オイゲンも引き継ぎ、艦これのプリンツ・オイゲンも肩の鉄十字の下に紋章が描かれている。
豆知識:オイゲンの主砲は前から順に「Graz グラーツ」「Braunau ブラウナウ」「Innsbruck インスブルック」 「Wien ウィーン」とオーストリアの都市名がついてます。進水式の式典時には、実際に砲塔に都市名が書かれていたみたいですね
— 島田 フミカネ (@humikane) 2014, 11月 15
デザインの島田フミカネのツイートを見ると主砲は前から「Graz グラーツ」「Braunau ブラウナウ」「Innsbruck インスブルック」「Wien ウィーン」とオーストリアの都市名がついているという解説が。ドイツ海軍は4基の砲塔にAからDの頭文字として艦首から艦尾に向かって「Anton アントン」「Bruno ブルーノ」「Caesar ツェーザル」「Dora ドーラ」と人名の呼称をつけているが、これはビスマルクだろうがなんだろうが同じフォネティックコードで、愛称はまた別にあるということをやっと理解できた。
ドイツ海軍の重巡洋艦 1939‐1945より。
改装前の白黒のバルチックスキームが艦これのプリンツ・オイゲンにも描かれている。
ドイツ海軍の重巡洋艦 1939-1945より。
艦これのプリンツ・オイゲンの改装後はツェルベルス作戦時の塗装らしく、上の画像の中央が同じ1942年2月の塗装。イギリス軍の潜水艦トライデントの雷撃で艦尾をやられてしまい、応急処置のために艦尾と舵がバッサリと切り取られてしまった。
つまり、
中破のプリケツは史実通り!
艦尾を丸々持っていかれたので応急処置(まえばり)というのは考えたけど考えるだけに留めておいた
— 島田 フミカネ (@humikane) 2014, 11月 16
改二で"まえばり"実装してもいいのよ。ちなみに、ビスマルクとイラストがかなり似ているのは、史実でもビスマルクとわざと似せたそうで、実際にビスマルクとプリンツ・オイゲンが戦ったライン演習作戦では、英軍の巡洋戦艦フッドがプリンツ・オイゲンをビスマルクと勘違いして砲撃してしまった例がある。
島田フミカネ氏のこだわりがこうしてイラストから見て取れる。
Google Maps
プリンツ・オイゲンは戦後アメリカに引き渡され、マーシャル諸島のビキニ環礁で2回の原爆実験が行われたがこれを堪えた。最後はクェゼリン環礁(Kwajalein)に移されて碇泊していたが、浸水が発生し横転して沈没。冒頭のスクリューのみがドイツに里帰りすることとなった。
ヨーロッパからパナマ運河を通ってクェゼリンへの航路。
クェゼリンは一般人が入ることはできないが、グアムからホノルルに至るまでミクロネシアとマーシャル諸島の島々を巡る旧コンチネンタル航空のアイランドホッピング路線はクェゼリンも立ち寄るため、機内からプリンツ・オイゲンを見ることはできるはずなので、ユナイテッド航空のマイルを使ってそのうち見に行きたい。
その他、ドイツ海軍記念館のビスマルクの模型やUボートなどはこちらで。
2014年夏イベントAL/MI作戦の空母棲姫、中間棲姫、E-6の元ネタについてはこちら。
告知
コミックマーケット87 12月31日(3日目) 西 に-04b「さざなみ壊変」では、タイに輸出された日本製の艦や"まるゆ"との類似がある潜水艦、ヴェールヌイのロシア太平洋艦隊、サハリンの鈴谷の艦内神社などの特集になります。
追記
・[C87]タイに"まるゆ"のお姉さん?サハリンの鈴谷艦内神社を巡る「海外艦光」