【艦これ】ソロモン諸島で朽ちる菊月に会ってきた【反撃!第二次SN作戦】


艦隊これくしょんの2015年夏イベント「反撃!第二次SN作戦」でソロモン諸島が再び。イベントに先立ってたまたま5月にソロモン諸島の駆逐艦・菊月に会ってきたので、E-1関連で紹介。


E-1 ショートランド沖「発動準備、第二次SN作戦!」では、ラバウルを出港後にブーゲンビル島のブイン基地あたり(Dマス)に寄って、チョイスル島と、ベララベラ島、コロンバンガラ島、ニュージョージア島の間あたりにあるボスマスで悪雨こと駆逐棲姫と戦うが元ネタがよくわからず。

そもそも、2013年秋の「決戦!鉄底海峡を抜けて!」でソロモンことサーモン諸島海域は確保したはずなので、「第二次SN(ソロモン・ニューギニア)作戦」なんて言ってるけど、実際は油断してるうちに奪われたと思われる海域を取り戻すだけじゃないかー!イベントでない通常海域入れたら3回目になるのか?

まだ先の方に進めてないので情報が不足しているが、とりあえず菊月を艦隊に入れるとA→Dを固定されるということで、菊月が沈んだツラギ沖海戦が影響していると思われる。



睦月型9番艦の菊月。大正時代の最後に建造された駆逐艦で基準排水量1315トンは、2700トンくらいあった防空駆逐艦の秋月と比べると半分の規模しかない。

TVアニメ艦これ第7話「一航戦なんて、大ッッキライ!」でも出てきたポートモレスビー攻略のMO作戦を実施し、オーストラリアとアメリカの連絡線を分断するFS(フィジー・サモア)作戦を遂行するために、ソロモン諸島に航空基地を建設する必要があった。

ガダルカナル島に日本軍が建設した飛行場は、米軍に奪われて飛行場姫の元ネタになっているヘンダーソン飛行場になるが、それよりも前にガ島の対岸のフロリダ諸島のツラギに水上機基地の建設を行っていた。元々ツラギはソロモンの政庁がありオーストラリア軍が警備隊を置いていたが、1942年5月に日本軍が進出してツラギを攻略。カブツ島とタナンボコ島に水上機基地を建設することになる。


日本軍は、1942年5月3日に以下による輸送で、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島を占拠。

第十九戦隊(攻略部隊): 敷設艦沖島、駆逐艦菊月、夕月、特設敷設艦高栄丸、掃海艇2、輸送船2
第十八戦隊(援護部隊): 軽巡洋艦天龍、龍田、特設水上機母艦神川丸、聖川丸


ツラギ攻略自体は成功したが、5月4日に2014年夏「AL/MI作戦」の空母棲姫の元ネタにもなっている空母ヨークタウンによって空襲が行われ菊月は沈没させられてしまった(ツラギ沖海戦)。



ソロモン諸島のヘンダーソン飛行場に降りて、首都ホニアラの港から週3往復しかないフェリーでまずツラギへ向かう。

東の方を眺め、写真左が出発したガダルカナル島で真ん中がサボ島、そしてフロリダ諸島あたりに囲われ今まさに通っているのが、ガダルカナル島の戦いで日米の艦艇が熾烈な争いを繰り広げ、両軍の艦艇や輸送船が数多く沈んでいることからアイアンボトムサウンド(鉄底海峡)と呼ばれている海域である。



第一次ソロモン海戦で日本海軍の進路をざっくりと載せてみた。

米軍にガ島に上陸され飛行場を奪われた後、米軍の輸送船団を撃滅するためにガダルカナル島沖に向かった第八艦隊は得意の夜戦で敵の重巡3撃沈、重巡1大破で完勝するが、ソロモン海戦による消耗戦の始まりにすぎなかった。

第三次ソロモン海戦(第一夜戦)で戦艦比叡が沈んだのが写真のサボ島の右側あたりで、第二夜戦で霧島が沈没したのはガ島とサボ島の間で写真よりもうちょっと奥などなど、艦これにも出てくる艦艇が沈んでいると思われるポイントはあの辺か、と見ているうちに目頭が熱くなってきて、すでにここに来られただけでとりあえず満足。



2時間くらい船に揺られるとフロリダ諸島がだんだん大きくなってきてツラギ島に到着。ここからボートに乗り換える。



Google Maps
菊月の位置はこの辺りになる。ツラギ島から小型ボートで30分かからないくらいか。



ツラギの東にある橋で繋がれたカブツ島、タナンボコ島には横浜航空隊の水上機基地があり、今でも滑走路らしき構造物が残されている。写真奥に日本軍の小型艇か何かの残骸が見え、水中には航空機の残骸もあった。



そして菊月が沈んでいるというトウキョウベイ(東京湾/Tokyo bay)に入る手前でアメリカ軍の輸送艦が朽ちた状態で残されている。

東京湾は現地ではンボロククトゥ(Mborokukutu)というらしい話をガイドから聞いたが検索しても何もヒットせず。



いよいよ東京湾の中へ入っていく。



これが菊月だ!

東京湾に入っても最初はどこにいるのかわからず、だんだん奥に入っていくと次第に大きな船体の残骸が見えてきた。睦月型駆逐艦の菊月は全長102.7m、幅9.2m、喫水3m。100メートルあるので結構大きい。



艦首部分は一応残っており、ギリギリ上に乗ることができた。



艦橋など甲板より上の構造物はほとんど残っていなかったが、船体の前方中央付近に45口径三年式12cm砲(G型砲)らしき筒状のものが残っていた。艦これでも「12cm単装砲」として装備になっている。



夏コミ新刊「太平洋戦跡 トラック・パラオ泊地ってどんなとこ?」で書いたトラック諸島夏島の砲台にも12cm砲があって菊月のものとほぼ同じ形状だったので、他の駆逐艦から改装時に外したものが陸上砲台としてまだ太平洋のアチコチに残っていると思われる。他に現存しているのは、バンコクに残るタイ海軍のメークロンの45口径十一年式12cm砲(M型砲)が同じ砲身を用いているとか。



菊月の後ろの方はほとんど崩れてバラバラになっているように見えたが、4門あった12cm砲のうち砲架が1つ残されていた。

兵装は12cm単装砲4門、7.7mm機銃2門、61cm三連装魚雷発射管2、爆雷投射機2だったが他の構造物は水上からは見られなかった。


この菊月について調べてみると「5月4日、フロリダ島湾内で給油中、米艦載機の攻撃で擱座、翌日の空襲で大破着底して破棄されたものが現存している」とか、「4日の空襲後にかろうじて航行できたのでフロリダ島の南岸に接岸、翌日の空襲で着底」などと微妙に本よって記述が異なり、そもそも沈没したのが4月と書いてあるやつまであって「いったいどれが正しいんだ!」となる。

戦史叢書によると「沈没したものを米軍が引き上げて調査後に現在の場所に破棄した」という感じなっているので、空襲に遭った菊月が東京湾みたいなどん詰まりの場所にいる理由は、米軍が移動させたからということになる。

ただ、戦史叢書には「カブツ島のハラボ南緯09度11分 東経160度13分で沈没」と書かれているが、カブツ島もハラボも座標の位置とは違う場所なので結構いい加減だなあ。



Google Maps
ガイドによるとハラボはこの辺り。ハラボの西あたりにある島がカブツとタナンボコ。



ツラギ島で米軍に撮られたという菊月の写真。



ハラボのビーチ。

沈没地点から引き上げられた菊月はツラギじゃなくてハラボまで引っ張られて調査され、東京湾に破棄されたなら移動距離も短いので納得できそうな感じ。ハラボと菊月の写真が撮られた場所の雰囲気が似てるような気がするけど違うかなあ、うーん。

というわけで、防衛省防衛研究所の戦史叢書でも記述が矛盾してたりして詳しいことはよくわからなかったが、鎮守府、鈴谷の艦内神社でサハリン、太平洋戦争の各戦跡などを巡ってきた中でも菊月や激戦地ガ島は特に印象深いものとなった。菊月は艦これに登場する艦艇の中で唯一ダイビングしなくて見られる船となっているが、現状はこのようにかろうじて原型を留めているが朽ちていくままになっており、それもまた運命と言えるだろうか。


告知
[C98]SideM中心アイマス舞台探訪 菊月に会いにガ島へ行く【電子書籍】
ろけます!パピッと西日本+小樽の旅 ろけます!パピッと西日本+小樽の旅 「コミックマーケット98」と「おもしろ同人誌バザール大崎9」が中止となったため、頒布を予定していたアイマス舞台探訪本を電子書籍で先行頒布します。 ...
写真集風に再構成したKindle本「駆逐艦菊月に会いにガ島へ行く」

Amazon Kindle
Amazon Kindleで配信中。Kindle Unlimitedなら無料で読めます。
タイトルとURLをコピーしました